Lemoore / Fresno


4月14日 月曜日


大荷物を持ちながら動くのは辛いので、出きる限り楽に成田空港に到着できる方法を検討した結果、相模大野から乗るリムジンバスを選択しました。妻に相模大野の南口迄、車で送って貰ったので楽にバス乗り場に着きました。
乗り場では、ネットで事前予約を入れておいた事の確認を係りの方が行なった後、往復のバスチケットを6200円で購入。往復で購入すると、片道ずつ購入するより1000円程お安く購入できるメリットが有ります。バスは定刻11:05に出発。その後、町田バスターミナルを経由して一路成田空港に向けてノンストップ。走行ルートは、東名高速道、首都高速道、東関東自動車道を使用して約2時間半。乗客は、わずか10名で座席も悠々、成田迄ほぼドアtoドアで最高に楽チンでした。

成田空港には定刻より20分ほど早く到着。バス降り場の脇にあるユナイテッドのチェックイン・キオスクでチェックイン。Passportを提示してチケットを出してもらい、荷物もそこで預ける。22.5kg ピッタリで追加の重量チャージ無しでした。
そこに今回ご一緒させて頂く、多賀谷、徳永両氏が丁度良く現れたので、捜す手間がかかりませんでした。
搭乗までの時間待ちは、ユナイテッドのラウンジに50ドルを支払い、ビールと枝豆、パン、ケーキ、バナナ等を頂きながら渡航前の景気着けを行いました。




ラウンジで時間をつぶす合間に、EVAのスペシャル塗装機を撮影。最近は数が増えて、羽田空港にも国際路線の運用で定期的に来ているらしいです。


搭乗のB747機は、定刻17時55分に離陸、一路サンフランシスコに向けてフライトを始めました。

夕刻の出発は、ゆっくりと余裕を持って空港に来る事が出来るので、気持ち的にも楽でした。


席は41K窓側で比較的すいていた為、隣の方との間には空席が一つ入り、窮屈さを感じる事は有りませんでした。
それに座席や内装も綺麗で、これなら、エコノミーで充分ですね。やはり、ジャンボ機の機内は広くて良いですね。


離陸してから1時間チョイ過ぎた辺りで、夕食のサービスが有りました。チキンを選択。マア、こんな物かな。


CAさんは年配の方が多く、もはや花形の職業ではない様ですね。

サンフランシスコ空港到着の一時間半前に出てきた軽食。


サンフランシスコ空港が霧の為、上空を20分程旋回する指示が出ているとの事で、10:40 予定が11:00と成りそうだとの事。o(^_^)o


昼食をローカルトランジットの合間に空港内で取りましたが、チキンバーガーとバドライトで、17ドル高くないかい?


フレスノへのトランジットは、ターミナル1とターミナル3を行ったり来たりで、1人だったらパニックに成ったかも。
入国審査は聞いていた程の厳しさは無く、拍子抜けするほどスンナリと入国出来ました。この時間帯、大混雑と言う訳では無かったので、所要時間も当初の見込みに比較して短時間で済みました。



トランジットエリアの窓越しにエアーフランスの創立80周年記念塗装機の撮影。


Alaska航空のスペシャル塗装機、結構珍しいらしいです。これは、フレスノ行きに乗り込む時、外撮りが出来ました。


フレスノ空港行きのローカル機にWalkingで乗り込む。ここから、約一時間のフライトです。


フレスノ空港への着陸アプローチ。ここは軍民併用の空港で、ANGのF16とF15が翼を休めていました。


正式名が、’Fresno YellowStone International Air Port’と言うそうです。Displayの木は、セコイヤですかね。


滞在先に到着後、キングズバーグのお店でお買物。レムアで外撮りする為の脚立を購入(70ドル)しました。


端正で綺麗な町並みです。人が全く見えませんでした。
下の画像は、徳さんがキャッシングマシンに四苦八苦している様子です。

主に、スエーデン人が開拓した町で、北欧系の白人が多く住む町だそうです。
下の画像内のポットは、キングスバーグのシンボルだそうです。




滞在させて頂く多賀谷さんのご親戚宅です。周りは、地平線迄拡がるブドウ畑がいっぱいです。


夕食は、ビッグサイズのステーキ。ミディアムレアー、柔らかくて美味しかったです。カルフォルニアワインも、赤白とも美味しかったです。



4月15日 火曜日

リモア海軍基地は、滞在先から約一時間の距離にあります。かなりの田舎で、だだっ広いコットン畑の中にあるのですが、そこに基地がある事を認識するのは、Google Mapやナビが無い場合は、極めて難しいと思われます。
当初、リモア基地での撮影を4日間と考えていましたが、下記の出来事の結果、1.5日で撮影を断念する事にしました。
従来は基地外の外周道路でMPと遭遇する事は無かったそうですが、Security Level が上がったのか分かりませんが、MPの監視巡回をかなりセンシテイブに行なう様に成っていました。

下記に長々とリモアで体験した状況を記述していますが、結論から言うとリモアでの撮影は危険です。日本の軍事基地のつもりでお気軽ムードで行くのは間違っているし、最悪は命の危険も有り得る事を今回体験しました。
また、英語である程度の会話が出来る事は必須で有る事。また、どうしても行きたい場合は、事前にPAOとコンタクトを行い事前承認を得て置く必要が有る事。承認が得られない場合は、断念するべきと理解しました。

この出来事があった後に、徳さんがPAOとコミュニケーションを取った所、リモア内でこの二日間、MPの対処の仕方が違った事が大問題に成っているそうで、基地指令までエスカレーションがされたようです。その結果、どうなったかは分かりませんです。

 記:<リモアでの出来事>
初日に遭遇したMPは、Passportの提示は要求しましたが、基地内のFacilityは撮らない事を条件に、飛んでいる機体の撮影はさせてくれました。その後、終日MPとの遭遇は無く夕刻まで無事に撮影を楽しむ事が出来ました。

2日目は最悪でした。10時半頃にMPの監視巡回があり、昨日とは異なる黒人と白人のコンビがやって来ました。
昨日の状況を説明してオーケーを貰っている事を言ったのですが、特に黒人さん名前はアービン(Irvin)は、全く違う判断と扱いをして来ました。まずはPassportを取り上げた後に私達を車の外に立たせ、腕を組んで動くなと言った後、少し離れた場所から警戒心剥き出しの表情で携帯電話を使ってPassport確認を行なっていました。白人さんとは気さくに話を出来たのですが、このアービンさんは、煮ても焼いても食えそうに無い感じでした。蛇足ですが、このアービンさんについて、多賀谷さん談ですが、『下唇が出ている。下唇と上唇の色が違う。』だそうです。

その後、Security Agentなる役割の二人組がやって来て取調べが始まりました。物腰しは一見柔らかいのですが、メインとサブのカメラ及び、予備のメデイアも没収された後、車の中も調べられました。その後。基地内のオフィスに来てくれるか聞かれたのですが、断っても連行されるだけなので、快くオーケーをしました。私達の車を前後にはさんだ形で基地内へ、オフィスの入り口には、怖そうな方々がズラリと並んでいました。
このオフィス内では、一人ずつ個室に呼ばれて調書が取られました。中でも多賀谷さんを担当した腕に刺青を入れたお姉さん?が、多賀谷さんに向かって、’Hey you , Come on’ と言って個室に呼んだ時はドッキリしましたです。

その後、撮影済みの全ての画像チェックが始まり、たまたまFacilityが写ってしまっている画像については、消去させられました。この間、3時間強の取調べの後、没収物は返却され私達も解放されました。全点消去されなくて良かったです。
基地を離れる時、徳さんが今週一週間の撮影許可を欲しい事を、Security Agent に告げた所、上層に聞かないと分からないとの返事。一時間ほど時間が必要だとの事で、基地外で待つ事にしました。丁度着陸の見えるパブリック・パーキングがあったので、時間待ちをしながら昼食を採っていた所、背後の道路をアービンの車が通り過ぎて行きました。

しばらくして一台のMP車が背後に止まり、またまた同じような取調べが始まり、携帯電話で誰かと交信した後、カメラ内の画像チェックが一人ずつ始まりました。4台のチェックが終わった時点で、もう一台ある筈だと言っていたので、先ほどのSecurity Agentとコミュニケーションしたのは間違いないと思われました。その後、ここから立ち去る様に言われたので、
ここでは、無理をしない方が良いとの判断から、1.5日の展開のみでリモアの外撮りを断念することにしました。
その分、浮いてしまった日時は、その日の夜、急遽ユマに出かける事を決めて埋める事としました。

上記の様な事がありある意味残念では有りましたが、当初の予定を変えさせたこの出来事は、結果としてその後の幸運を運んで来たとも言える出来事だったと思います。

この様な出来事があったにも関わらず、リモアで撮影できた部隊の数は多く、内容の濃厚な満足の行く1.5日でした。
ので、リモアでの撮影を断念する時も、以外にスンナリと諦められました。


リモアには、20部隊が配備(NA、NH、NG、NE、NJ、他)されている様ですが、NAは空母に載っている為、多分16部隊がいたのだと思います。


その内下記の如く12部隊の撮影が出来ました。これは、期間の割には快挙だと思われます。
撮影できた部隊とサイドナンバーは下記の如しです。
約50年弱昔に撮影できた懐かしい部隊と現在の抜粋画像を並べて紹介します。。

VFA-137 00,207,210,212
VFA-147 201,206
VFA-25  400,403,404,407
VFA-14  202,203,205,213,215,216
VFA-122 102,121,134,173,174
      204,215,223,250,252,253
      06,49,72 T-45C
VFA-2   100,104,105,106107,112,114
VFA-192 402,403
VFA-41 100,103
VFA-86 300,301,303,304
VFA-97 301,302,305,310
VFA-146 300,302
VFA-151 303,304,310
VX-31  218 外来機

リモア外撮りスタイル(今後は難しいかな?)


VFA-41 Black Aces
ベトナム戦の期間に、空母IndependenceにF4B運用部隊として搭載されて横須賀港に入港したはずですが、厚木に飛来する事が無かった残念な部隊でした。当時と尾翼塗装デザインの基本は同じで約50年弱の隙間を埋めてくれた下記のフライトに、感無量でした。他方のF4B部隊として搭載されたVF-84 Jolly Rogersは、入港前後に厚木に飛来しました。










VFA-14 Tophatters
空母F.D Roothbeltに搭載され、横須賀に2度入港しました。二度目の入港時は、全部隊が出撃マークを記述していました。当時のAレター機は、Nレター機と比較してセンスの良いデザインが多く、厚木マニアの度肝を抜き続けました。








VFA-151 Vigilantes
自分は撮影機会が少なかった部隊の一つでした。




VFA-97 Warhawks
空母Constelationに搭載された、VA-97。






VFA−25 Fist of the Fleet
空母MidwayやCoral Seaに搭載され、特にMidway搭載時はスクリュー破損事故で横須賀に修理の為入港しましたが、その時、搭載機全機が厚木に飛来しました。その日、海兵隊のA4E VKも極東配備の為20数機がトランスパック飛来した為、大混雑と成り厚木上空は着陸待ちをする機体で満ち溢れていました。この一日で100機前後の飛来があり厚木史上最多を数えた日と記憶しています。












VFA-192 Golden Dragons
とてもセンスの良いデザインと山吹色のペイントが素敵でした。






VFA-2 Bounty Hunters










VFA-137 Kestrels







VFA-86 Sidewinders
空母Independenceが横須賀入港した時、夕刻2機が飛来しました。これも当時はマニアをビックリさせたデザインとペイントでした。








VFA-147 Argonauts
A7運用に伴い、新設された部隊でしたが、テールレターや刃が濃い赤をベースに描かれており、当時ビックリさせられたデザインと塗装でした。




VFA-147 Blue Diamonds
A4C時代は地味な塗装で、フィルムが貴重だった事もあり、目の前を多く通り過ぎた記憶は有るのですが、撮影コマ数は手持ちの中で非常に少ないです。










VFA-122 Flying Eagles














VX-31 Dust Devils




4月16日 水曜日


リモアを諦めた、その日の午後にフレスノ空港にANGのF15を撮りに出かけました。暫くエンド付近をウロウロしながら撮影ポイントを探している間に、F15のエンジンが掛かり、そして4機が上がって行きました。民間機の着陸を撮りながら、F15の戻りを待つ事としました。





18時6分頃、第一陣の2機がオーバーヘッド後、着陸。




18時10分頃、第二陣の2機がオーバーヘッド後、着陸しました。






リモア編、いかがでしたか。軍事基地に対する認識はあったつもりでしたが、その厳しさを身を持って体験しました。
この教訓を、今後に活かして行きたいです。

そして、この日の翌朝ユマを目指して滞在先をあとにしました。その報告は、YUMA編を参照下さい。